知識を形にする
アイヌの布が持つ不変の特質の最たるものは、作り手の愛情を留めおき、そこに込められた祈りによってアイヌとアイヌとをつなぐところだ。長谷川の言葉にもあるように、この祈りが布に命を吹き込み、それが力となって使い手や持ち主に働くのだ。
私は、このような先祖の布はカムイなのであり、私たち人間にはそれを守り敬う義務があると信じています。私は家を出る時は、着るにしろ着ないにしろ、必ず自分の着物を旅のお供にします。私の服は私のツキガミ、つまり守り神です。霊的な存在とは、良好な関係を保つことが肝心です。私にとってそれは、外出先でもずっと守り神とともにあることを意味します。(長谷川 2005)訳注1
アイヌ女性は、使い手への思いを布に込める。それは、次の言葉からも明らかだ。「ひと針、ひと針、使い手のことを思い、心を込めて作られたものには、良い魂が宿ると信じてきたのです.その使い手が身を纏い、作り手の思いが相手の身体に伝わり、使い手がその布に編み込まれた祈りと情熱、魔よけの意味が含まれる紋様によって、遣い手が守られる」(財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構2007, 5)
このように、1回の針の運針ごとに思いを込められた服が、作り手ともらい手とを結びつける。アイヌの服作りは、入植者による支配で大きな打撃を受けたが、北海道の各地に暮らす布作家は、今もなお針仕事に祈りを込めて、布に力を授けている。
アイヌ社会では、布が社会的関係を築く手段となります。繊維が処理され、縫製やアップリケが施されて完成していく過程でアイヌの布になります。この過程で、政治的、象徴的な結合が生じ、それは繰り返しの使用を通じて強化されます。アイヌ社会においては、布が自己形成の継続と補助という役割を担ってきました。布に込められた人を癒し守る力が使い手や持ち主に授けられます。新生児のおくるみには、使い古したアットゥシの古布や木綿の布切れが使われる。年月を経た布は長きを耐え抜く強さを新生児に与え、死から彼らを守りましたが、先祖の人間性を赤ん坊の身体に移し伝えて新たな家族を一族と結びつける役割も果たしました。布は加工して医療にも使われました。樺太アイヌのシャーマンは、治癒の補助として、布切れを網目状に縫い合わせて霊性を授けたものを、患者の腕や脚や頭、そして不調を抱えている部位に固定しました(オギハラ 2005)訳注2
身体に根づく知識
アイヌの知識は体に刻み込む知識である。アイヌの価値観によれば、民族性と知識は肉体、骨、血液、心臓に根ざす。靭皮の織り方や、献酒に使う祭具の彫り方は、丸暗記や口述では習得できない。アミプ(A: 衣服の総称。靭皮と木綿の着物)の作り方や、刺繍の技術、アットゥシやサラニプ(A: かご)、チタラペ(A: イグサ製のゴザ)、エムシアッの編み方や織り方はすべて、アイヌの女性の手と心に宿る技術であり、それが受け継がれていく(エノンカイ、インタビュー、2005年12月)訳注3。ひとりの布作家はこう語ってくれた。「私に手仕事をたくさん教えてくれたおばあさんにはよく「頭じゃなくて体で覚えなさい!」とたしなめられました。このおばあさんから習ううち、アイヌプリやアイヌの生き方の美しさを理解できるようになりましたし、やがてアイヌの一員としての自信も感じられるようになりました」(トペニ、インタビュー、2001年7月12日)訳注4
歴史的に見て、アイヌの女性は愛する者と自らの身の安全を守るためのモチーフを制作し、手製の衣服に装飾を施してきた。この装飾は、単に美しさを加味するだけでなく魔除けとして家族を守る意味もあった。
その経験から、モノはそれが作られた時代の文化のありさまを表現するのだという原則的なことに気付いた.伝承者や大先輩の方々からは、モノを作る技術だけではなく、アイヌのか考え方や精神の持ち方を教えていただいた...制作技術を教わるだけではなく、彼女たちのモノ作りを通して展開されるアイヌの世界観が、私にアイヌの精神世界を教えてくれて刺激も与えてくれた.(津田 2000, 93-94)
先ほど説明した通り、アイヌの文様には魔除けの意味があり、使い手の身の安全が守られるよう幾重にも加護の祈りが込められている。キラウなどの文様を布に施すのは、魔物が文様に入り込んで使い手に憑りつくのを防ぐ役割を果たすためだと信じられてきた。後には、和人の男たちによる侵略の際に、ツノの部分を伸ばし棘状に尖らせ、アイヌ女性の身を守る抵抗の意味も込められた(津田 2014b)。訳注5
複製作りによる自己の形成
作り手は、先祖の知識を肉体的な記憶の一部として取り込むことで、その知識を習得し体に刻み込む。作り手たちは、正確な再現や型への忠実さは、先祖の価値観を知る行為だと語る。
女としての生きかた、母としての生き方を見せ教えてくれた母.そうだ母だ!母の為に作ろう...買った布では近づけないと分かり、自宅に着くやいなや、草木染から取り掛かった...オリジナルの着物[との]共通点があるとするなら、それは大切な人の健康と安全(魔よけ)を願いながら作った事、そして何よりも大切な人、特に自分の母、の喜ぶ顔が見たいという気持ちです. (山本みい子、山崎、加藤、天野 2009、72ページ)
このように、先祖の精神的、文化的、情緒的なありようといった目に見えないものと向き合えることは、作り手を布作りに向かわせる大きな動機となっている。彼女たちは、このアイヌの精神の継承は、アイヌの形、特に伝統的な文様と技術の理解にかかっていると主張する。布作家はまず、これらの文様の入った布を一から作ってその工程を学び、先祖の行為をたどることで、彼らが代々体で覚えてきた記憶を自分も培わねばならない。布作家は、伝統の継承においては、もとの作り手の思いや意図がそのままの形で伝わるよう、型(布、刺繍、アップリケのデザインや技術、衣服の種類)を忠実に守らなければならないのだと言う。これらの型は、それ自体で聖典なのであり、それを体で覚えてはじめて自己表現としての自由な創作が許されるのだ。
初めてこの作品を見たとき、胸に響いたのは、あぁこういう素晴らしい先輩達が作った作品を手掛けることができるという喜びでした...複製を手がける時は、オリジナルの作り手がどういう気持ちでつ作ったのか、ということに重点を置き、その想いを壊さないように心掛けています.容易に自分が楽なやり方に持っていかない、楽な道を選ばないようにしています.何より先輩が作ったものへ感謝を失わないことが大事です.(上武やすこ、山崎、加藤、天野 2009、50ページ)
今日の布作家の思いは、郷愁の念と先祖の創意工夫への感嘆とで彩られている。先祖たちは、今では芸術品として扱われている遺産を、貝に油を注いだだけの質素な明かりの炎が放つ揺らめく光を頼りに、限られた道具と素材で作り上げた。さらには、刺繍の文様に強い思いを込めて魔除けの意味まで持たせた。現代では、着物にラマッ(魂)を込めるという概念は一部のアイヌ女性にとってなじみがなくなったのかもしれない。だが、布に愛情と祈りを込めるという行為であればきっと、アイヌ女性の誰しもが共感の念を抱くはずである。
この文章は『The Fabric of Integrity(先住性が織りなす文化)』の第5章「知識を形にする」の一部を加筆修正したものである。
引用資料一覧
アイヌ文化振興・研究推進機構、『アイヌからのメッセージ : 平成19年度アイヌ工芸品展 2007(現在から未来へ)』中西印刷、2007年
長谷川修「東京在住のアイヌの先住民運動」、国際シンポジウム「多元的社会における先住民運動:カナダのイヌイットと日本のアイヌ」国立民族学博物館、2005年1月13日~15日
津田信子「アイヌ文化の復元と伝承をめざして―生活用品を復元する伝承の実践を通して」北の生活文庫企画編集会議『北海道の生活文化 北の生活文庫企画編集会議編』、2000年、78-103頁
山崎幸治、加藤克、天野哲也、『Teetasinrit Tekrukoci : 先人の手あと 北大所蔵アイヌ資料 : 受けつぐ技』北海道大学総合博物館、2009年
訳注
数字が振られた引用は、当初日本語で発言もしくは執筆された可能性が高いが、翻訳時に原文のテキストを入手することが困難であったため、やむをえず一度英語に訳されたものから和訳した。そのため、読者には、元の発言とは口調や表現が異なる場合があることをご了承いただきたい。なお、数字が振られていない引用文は、筆者より提供された和文のテキストをそのまま掲載した。